S?M?

人間の心ってのは不思議なもので、サディスト的傾向が強い人間ほどマゾヒスト的傾向を持っている。
逆もまた然り。
だが、たとえばマゾヒストはマゾヒストとしての強いアイデンティティを持っているので、なかなかサディスト的な要素が浮上して来ないことが多い。
しかし、ちょっとした衝撃で、入れ替わる。

もしも恋人がサディストだという人がいたら、たまには相手を強引にヤッてみると面白いだろう。
ためらわず、サディスティックに、強引にやるのがいい。
相手のサディストとしてのアイデンティティが強いとうまくいかないことが多い(失敗するといろいろ大変なので気をつけよう)が、ソフトSくらいならわりとうまくいくようだ。

サディスティックになんかできないって?
それは、あなたがまだ自分を知らないだけさ。
あなたがもしれっきとしたMなら、あなたの中にはSな部分がしっかりと眠っているはずだから。

サディストをサディストたらしめているのは、このアイデンティティの部分であると言える。
アイデンティティとは「自分はSだから。」という思いのことで、この思いが強く「支配される側なんてとんでもない。」と思っている限り、マゾヒストに転じるには強いロックがかかったように精神的抵抗が大きい。
この精神的抵抗を壊すには、長い時間をかけて育んだ愛情の介在か、あるいは本人の自覚のどちらかが必要なんだそうだ。
これらは某日本一有名な大学の卒業生が言っていたことだが、心理学は学問としては歴史の浅い分野なので、話半分に聞いておいたほうがいいだろう。

話を続ける。
だから、ひとつの考え方によれば、自分がSかMか考えることには紙一重の差しかないのだから、あまり大きな意味はない。
それよりも「どのくらいS(≒M)度が強いか。」を考える方が、ずっと有意義だ。

ある専門書(エロ本じゃないよ)によると、露出狂の人はもともとかなりの恥ずかしがり屋が多いらしい。
「見られることを意識している。」という点では、露出狂も恥ずかしがり屋も共通している。
だから、恥ずかしがり屋の女の子も、少々強引に脱がしたら面白いかもしれない。
でも、これもさっきの「愛情の介在」か「本人の自覚」がないうちにやると、あまり良い結果にならないかもしれない。
ちなみにオイラはSかな(笑)礼子はMかな?(爆)

では、本日はこのへんで。